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王室の素顔
Her Majesty, Queen Elizabeth (Alexandra Mary) II
(女王エリザベス二世)
1926年4月21日、ヨーク公爵(のちの国王ジョージ六世夫妻)の長女として、ロンドンに生まれる。幼少時は自宅で家庭教師について勉強していたが、1936年に伯父の国王エドワード八世が退位して自分の父が王位についたことから、第一王位継承者として家庭教師やEton Collageから特別教育を受けるようになる。一方でガールスカウトに参加したり、戦時中は英国軍の婦人部隊に参加するなど、王室外での活動にも忙しい少女時代を過ごす。1947年11月20日、ギリシア王家の王子であるフィリップ・マウントバッテン海軍大尉と結婚。チャールズ皇太子を始めとする4人の子供をもうける。1952年、アフリカを訪問中に父王の訃報を受けて仮の王座につき、1953年6月2日正式に英国と英連邦及び北アイルランドの君主として即位。以降、英国陸海空軍の頂点に立つほか、英国国会の監視などの国家元首としての義務を果たしている。また国内外の700以上のチャリティや非営利目的の団体の総裁としても活動している。
His Royal Highness (HRH) Prince Phillip, The Duke of Edinburgh
(エジンバラ公爵フィッリップ殿下)
1921年6月10日、ギリシア、デンマーク王家のアンドリュー王子を父、英国のビクトリア女王の曽孫にあたるアリス・バッテンバーグ妃を母としてコルフ島で誕生。ギリシア革命による王室廃止と死刑の危機を、時の英国王ジョージ五世に救われ、フランスに亡命。フランス、イギリス、ドイツで初等教育を受けた後、スコットランドのGordonstoun Schoolに入り、基本教育を終える。卒業後は英国海軍に士官候補生として入隊し、実戦を経験する。戦後、海軍士官としてキャリアを積む一方、1947年に当時のエリザベス王女と婚約。同時にイギリス国籍を取得し、英国王室における王位継承権を放棄する。結婚後も海軍での仕事を続けて海軍少佐にまで昇進したが、エリザベス女王の即位と共に退官。以降は英王室の一員として、陸海空軍に元帥や総督として着任する。女王の伴侶として公式行事をこなす一方、WWF(世界動物基金)など、800以上のチャリティ団体の総裁として活動。また、ケンブリッジ大学、エジンバラ大学等の大学総長も務めている。
His Royal Highness (HRH) Prince Charles (Philip Arthur George),
The Prince of Wales

(チャールズ皇太子)
1948年11月14日、当時のエリザベス王女とエジンバラ公の長男として、バッキンガム宮殿内で誕生。4歳の時母エリザベス女王の即位に伴い、第一王位継承者として「コーンウォール公爵」などの爵位を得る。初等教育を東ロンドンのHill Houseで開始し、後にCheam School、父エジンバラ公の母校であるGordonstoun Schoolへと進む。その間に王室の一員しては初めてオーストラリアに留学する。その後ケンブリッジ大学で、考古学、人類学、歴史などを学んで学位を取得。卒業後、英国空軍、海軍に入隊しパイロットとヘリコプターパイロットの資格を得て,1976年まで海軍に従軍する。現在は英国陸、空、海軍の大将や副総督などを務めているほか、様々なチャリティ団体の総裁や後援者なども兼任。特に環境や建築、文化遺産の保護活動に熱心であることが知られている。1981年7月29日ダイアナ・スペンサー嬢と結婚するが、1992年に別居。その4年後、正式に離婚した。
His Royal Highness (HRH) Prince William (Arthur Philip Louis) of Wales
(ウィリアム王子)
1982年6月21日、当時のチャールズ皇太子夫妻の長男そして第二王位継承者として、ロンドンの St Mary's Hospitalで誕生。「なるべく普通の子供時代を過ごせるように」という両親の意向で、3歳から一般子弟向けの幼稚園に通い、その後Wetherby Schoolで初等教育を受ける。1995年名門のEton Collegeに進学し、中、高校教育にあたるGCSEとAレベルを終える。大学入学前に1年のギャップイヤーと呼ばれる休みを取り、英国内やアフリカ、南米などでボランティア活動を行った。2001年、スコットランドのセントアンドリュース大学に入学して美術史を専攻。大学のクラスメート達とセントアンドリュースの町中で共同生活をし、普通のキャンパスライフを楽しんでいる。現在は学業に専念するために、王室での義務や社会活動などを制限しており、正式な王族としての爵位は与えられていない。
His Royal Highness (HRH) Prince Henry (Charles Albert David) of Wales
(ハリー王子)
1984年9月15日、当時のチャールズ皇太子夫妻の次男そして第三王位継承者として、ロンドンの St Mary's Hospitalで生まれる。本当の名前は「ヘンリー」だが、幼少時から「ハリー」と親しみを持って呼ばれている。兄のウィリアム王子と同様、3歳から普通の幼稚園に通い、Wetherby Schoolで初等教育を受け始める。その後も兄と同じ学校に進み、Eton CollegeでGCSEとAレベルを修了、2003年夏に卒業した。Eton College在学中には、飲酒行為で厳罰を受け、それを憂えたチャールズ皇太子にリハビリセンターに送られるというハプニングがあるなど、「物静か」な兄とは反対の「やんちゃぶり」を見せる。他方で、母である故ダイアナ妃の意志を継いで、チャリティ団体の式典に参加するなど王室の一員らしい面も見せている。現在はギャップイヤーを取っており、来年は大学に進学せずに軍隊に入隊するといわれている。
Diana (Frances), Princess of Wales
(故ダイアナ妃)
1961年7月1日、アルソープ子爵(後にスペンサー伯爵)の三女として、王室所有地のSandringhamで誕生。少女時代を父の所有地であるアルソープで過ごした後、ケントのWest Heath Schoolで中学校教育にあたるOレベルを終え、スイスのフィニッシングスクールで1年程過ごす。イギリスに帰国後は、ロンドン市内の幼稚園に就職。1981年、チャールズ皇太子と結婚し、王室の一員となる。その後は皇太子妃としての義務を果たすほか、特に人道的チャリティに力を注ぎ、英国のみならず世界中の人々の人気を得る。14年あまりの結婚生活の間に二人の王子をもうけたが、1996年に離婚。「Her Royal Highness」という王室直系の一員を示す称号を失うと同時に、100近くのチャリティ団体の総裁職を辞職する。以降は「Princess of Wales」として6つの人道的チャリティ団体を後援するほか、国際的な地雷撤去キャンペーン等にも積極的に参加したが、1997年8月31日パリ市内で交通事故により死亡。ダイアナ日が住んでいたケンジントン宮殿の前には、今も死を悼む人々からの花束でいっぱいだ。
(執筆者: 土居由美子)

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