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ダイアナ元皇太子妃の死
1997年8月31日、ダイアナ(Diana, Princess of Wales)を乗せた車は、フランスの首都パリでパパラッチの追尾から逃れるべく猛スピードで走り続けた果て、アルマ橋付近のトンネル内で、中央分離帯の柱に激突、大破し、彼女は急逝した。36歳だった。

訃報はただちに世界中に配信され、その直後からロンドンのケンジントン宮殿の門前には絶え間なく献花やカードが捧げられたという。訪れるすべての人々が彼女の早すぎる死に涙していた。そして、10年経った今でも、それは変わらない。

彼女は、現代において、最も多くのメディアに取り上げられた人物の一人だと言えるだろう。生前から、この世を去った後までも、彼女は常にゴシップの渦中に置かれ、世界中のマスコミに追い続けられていた。そして、彼女に関する書籍が刊行されるたびにベストセラーとなるほどに世界中が彼女の生き方に感心を持ち、それも今でも変わらない。そんな多くのストレスの中、彼女はチャールズとの離婚後も、二人の息子の母として彼らに精一杯の愛情を注ぎ、また、一人の人間として、エイズ啓発活動や対人地雷廃止運動などに積極的に関わり、多くの実績を残していった。
 ダイアナの死にまつわる陰謀説とは
ダイアナが最後の時を共に過ごすことを選んだ人物は、ハロッズ(百貨店)やパリのリッツ・ホテルなどのオーナーであるエジプト人富豪、ムハマンド・アルファイド氏の息子、ドディ・アルファイド氏だった。事故当時も車に同乗していたため、彼もまた死亡している。その際、ドライバーのアンリ・ポールもドディと同様に即死状態だったが、助手席にいたボディガードのトレバー・リース・ジョーンズは、なぜか事故直前にシートベルトを締めていたため、一命を取り留めている。そしてダイアナもまた、事故直後は内出血を伴う重傷ではあったが生きていたという。

それでは、なぜ、彼女は死亡したのか。事故当時、偶然に近くに居合わせたフレデリック・マイレ医師によると、彼女は、既に搬送できる状態にあったにもかかわらず、なぜか一時間以上も現場に放置されていたという。そして、ようやくたどり着いた病院の手術室に運び込まれる途中で息を引き取った。このことについては、フランス当局からの詳しい説明はなく、事情は明らかにはされていない。他にも、この事故に絡んでは不可解なことが多く、事故直後から暗殺説が取りざたされていた。

陰謀説がささやかれる一番の原因は、ドディ・アルファイド氏がエジプト人であるということ。人種問題は複雑であるため、あえてこの場では触れずにおくが、他にも、ドライバーが薬物の服用と飲酒により酩酊状態だったとされてもいるが、直前の監視カメラの映像からは、特にそのような様子は見受けられない。

また、後に、ダイアナが以前交際していた英国王室職員の事故死について、「あれは殺されたのだ」と彼女自身が語ったテープが公開されたり、「私の車に事故を起こそうとしている……」と書かれた直筆の手紙が公開されたりしたことから、英国側も再調査をせざるを得なくなり、元夫チャールズにも事情聴取(2004年1月)が行われている。

捜査は2006年12月まで継続され、昨年末に、改めて公式に暗殺説とダイアナの妊娠説は否定されることとなったが、2007年1月、彼女自身の死因究明の審問が3年振りに再開されることが決定した。

これは、ドディ・アルファイド氏の父、ムハマンド・アルファイド氏が事故直後から陰謀説を主張していることを踏まえたもので、今までも何度となく繰り返されてきたことであった。そして、今回は陰謀説を主張する遺族側に証拠の提示が求められたため、遺族側が半年間の準備期間要望したことにより、公開審議が始まるのは今年の10月頃の予定となっている。

執筆者 西村あかね