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ハリー・ポッターの生みの親は、ジョアン・キャサリン・ローリング(Joanne
Kathleen Rowling)。ハリーポッターシリーズは、今や何ヶ国語にも訳され、映画化も大きな成功をおさめているが、この作品を書き始めたとき、彼女はそんな成功をまったく考えていなかった。
ローリングは1965年7月に生まれた。小さな時から本が好きで、子供ながらも立派なストーリーテラーだったという。また、面白い名前を集めることが好きで、たとえば、彼女の生誕地であるブリストルの近くにある町、チッピング・ソドベリーもその一つだ (ソドは、ホモセクシャルの意)。ポッターという名前は、彼女が小さい頃に遊んだ隣近所の子供たちの名前からつけられている。心配性でいつも熱心な性格のハーマイオニーは、ローリング自身の少女時代をもとにしているという。
ローリングが初めてハリー・ポッターの構想を思いついたのは、1990年、ロンドンのキングス・クロス駅に向かう長距離列車の中だった。母親が多発性硬化症のため45歳の若さで亡くなったため、ローリングは英語の教師になろうと、ポルトガルに向かった。その後、彼女はジャーナリストと結婚するが、娘の誕生後まもなく、1994年に離婚した。
スーツケースに本を入れて、ローリングは姉の住むスコットランドのエディンバラに向かった。心は消沈し、手元には僅かなお金しかなかった。火の気のない寒い宿から逃れるように、彼女は娘のジェシカを押し車に寝かせながら、地元の喫茶店で執筆を始めた。作者の失意と孤独感は、孤児であるハリーが両親を思う姿によく表われている。
ローリングの作品が、文学作品を取り扱うエージェントに受け入れられるまでには時間がかかった。何度か出版を断られ、最終的に作品はブルームズベリーの子供向け物語の出版社に売却されました。この出版社はローリングにJKというイニシャルを使うように勧めた。今でこそ、ローリングは女性の著名人として有名だが、当時は、もし作者が女性だとわかったら、この本が少年たちにあまり魅力的に映らないだろうと思われたのだ。現在、ローリングは子供たちから手紙をもらうと、時には手書きでそのすべてに返事をしているという。
アメリカの出版社から前金として10万5千ドルを受けとると、ローリングはフランス語教師の仕事をやめ、執筆に専念するようになる。第4作目の「Harry
Potter and the Goblet of Fire」を書き上げるのに、一日10時間あるいはそれ以上書き続けたこともあったそうだ。現在、彼女は医者と再婚し、億万長者にもなった。しかし、シリーズを続けるために、たゆまず執筆を続けている。(しかも、いまだに家ではなく喫茶店で書くことを楽しんでいるとのこと)。
映画製作について、ローリングは原作に忠実なものになるかと心配していたが、最終的には映画の出来にとても満足とのこと。ロケ地はイングランド、登場人物はすべてイギリス人が演じたこともあって、作者の心の中にあるイメージやキャラクターに近いものだったようだ。
ハリポタシリーズに、多くの読者が惹きつけられる理由の一つは、奇想天外な物語が連続すること。物語展開のうまさは、ローリングの才能と言っていいだろう。危険あり、敵あり、血が凍りそうな場面や岩のぼりのシーンあり。ほうきで空を飛んだり、身を消すことのできるマントなど、明暗混在の不思議な世界が凝縮されている。恐ろしいシーンも、機知とユーモアによって和らげられる作品なのだ。
さらに見逃せないのは、生き生きとした登場人物たち。ハリーとその友人であるロンとハーマイオニーは、試験に対する不満や、子供っぽいライバル意識を表すこともあり、ときには種々の問題についてシリアスに話し合う。この年代に特有の雰囲気がよく出ている彼らの会話は、子供たちの共感を呼ぶと思われる。ローリングは、「この本が想像力のたまものであるように、ハリーたちは自らの可能性を最大限に生かすことを学ぶのです」と語っている。
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