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イングリッシュ・ガーデンの成り立ち その2
イギリス式自然風景庭園の隆盛 イギリス式自然風景庭園の隆盛
17世紀後半から18世紀にかけて、イギリスでは産業革命が起こり、多くの貴族たちは生活の拠点を次第にロンドンへと移していった。都会暮らしが増えると、貴族はカントリー・ハウスを「自然に帰る場」ととらえて、いっそう庭に目をかけるようになっていく。イングリッシュ・ガーデン史の全盛期に突入である。

このカントリー志向は、当時のイタリアの影響を色濃く受けていた。貴族たちの間でヨーロッパを旅するグランド・ツアーが流行し、イタリアやスイスを旅行して、彼らはそこで見た景色や絵画に感銘を受けて母国に帰った。そしてイタリアで見たような自然景観をイギリスの地でも自分たちの手で再現しようという発想が生まれ、それがさらに発展してきたのが、「イギリス式自然風景式庭園」だった。この風形式はそれまでの整然とした幾何学的なフランス式やオランダ式の庭園から、主役の座を一気に譲り受けることになる。

この風景式庭園は、造園における曲線を重視し、塀や囲いを取り除き、彼方まで見渡せるようにして、イタリアの風景をモチーフに「絵のように美しい」ピクチャレスクな世界をつくるもの。当時の人々の自然観は、「自然は変化するもの、造るもの」であり、ガーデニングにおいても自らの手で自然風景を造り上げることに重きが置かれた。

ブレナム宮殿やチャッツワース、カッスル・ハワードなどの大邸宅に見られる庭園が、風形式庭園の好例だろう。18世紀前半にジョン・バンブラに代表される風景画の理想に合わせた庭づくりを進めた。なかには人工的な廃墟までつくられることもあったほど。

これを皮切りに、自然風景式庭園熱はさらに具体的に高まっていく。「擬似自然は物語や神話を題材としたフィクションの自然界である」とジャーナリストのジョゼフ・アディソンが提唱し、アレクサンダー・ポープも庭園理論を展開したりした。

ジョージ1世からジョージ2世の時代に、風景式庭園専門の造園家チャールズ・ブリッジマンや、このブリッジマンの指導を受けたウィリアム・ケント、あるいはランスロット・ブラウン(通称ケイパビリティ・ブラウン)らが、風形式庭園の第二世代ともいえる黄金時代を築き上げた。このころ植物に対する研究熱もさらに高まって、キュー・ガーデンズも一気に拡張され、このころに王立園芸協会が設立された。

このように一斉を風靡してきた風景式だったが、あまりにも物語性やデザインにこだわってしまったために、本来の自然をつくるどころか、今度は古式ゆかしいイギリス式の古民家や樹林まで取り除いてしまうことすらあった。さらに海外からの植物を珍重しすぎるなど、自国の自然保護にまったく反する造園が加熱していく。こうした様子をよく思わない一派が出てきたのも、ごく自然な流れであったといえるだろう。
ピクチャレスクより、ガーデネスク ピクチャレスクより、ガーデネスク
風景式庭園ブームがエスカレートしていく一方で、模擬的な自然ではなくて本来の自然に立ち返ろうとする動きが高まっていく。湖水地方を愛したウイリアム・ワーズワスがその代表格。ワーズワスはあるがままの自然の姿がより美しいと説き、それを人為的に壊すピクチャレスクの考え方を批判した。

こうした考えは、自然のありのままの姿をもつ庭、つまり「ガーデネスク」という発想を生み、1822年に発刊された「園芸百科辞典」の著者であるジョン・クラウディウス・ラウドンが、1938年に「郊外の園芸家と別荘の手引書」を発刊したころから、ピクチャレスクからガーデネスクの時代へと以降していった。この発想が、現在のコテージ・ガーデンや、住宅のなかに見られるパブリック・パークを生む大きなひっかけになっていく。ちなみにこのラウドンはグリーンベルトの設置を提唱した人物でもある。

1840年以降になると、ブルジョワによるカントリー・ハウスが流行。これまでにない新築・改築ブームが起こる。1845年には、当時の女王であったヴィクトリア女王と夫のアルバート殿下が、イングランド南部のワイ島に、私費でオズボーン・ハウスを建設し、この流れを後押しした。

オズボーン・ハウスは、王室の公務から離れた住居で、建物はこぢんまりとしていて、庭も小ぶりな、ガーデネスクの発想を十分に反映したもの。歩きまわりながら花や植物たちを身近に感じることができる、植物の色が形そのものを生活に取り入れるスタイルは、現代の一般的な家庭のガーデンによくみられるスタイルの先駆けともなった。
小規模で自然重視のプライベート・ガーデン 小規模で自然重視のプライベート・ガーデン
中産階級の人々たちは、自分たちのカントリー・ハウスにどんどんコテージ・ガーデンを取り入れていった。庭園ジャーナリストであるウィリアム・ロビンソンは、著作「イギリスの花の庭」あるいは「ザ・ワイルドガーデン」などを出版し、コテージ・ガーデンの魅力を紹介した。

こうした中で精力的に活動したのが、女性の造園家、ガートルード・ジーキル。このウィリアム・ロビンソンは、現代のガーデニングの父、ガートルード・ジーキルはガーデニングの母と呼ばれるほどで、今日のイングリッシュ・ガーデンのあり方に大きく影響をもたらした。

小規模で自然重視のプライベート・ガーデンジーキルは、当時の時代の流れのひとつであったアーツ・アンド・クラフツ運動にもかかわっていて、美術評論家のジョン・ラスキンやデザイナーのウイリアム・モリスらとも親交があった。彼女は建築家のエドウィン・ラッチェンスと手を組んで、イギリスに点在する数々のフラワー・ガーデンを手がけていく。この時代の動きは私たちがいま目にするイングリッシュ・ガーデンのスタイルに大きな影響を与えているものである。

現代イギリス文学の人気作家であるスーザン・ヒルの「イングランド田園賛歌」という本がある。シェイクスピア学者の夫と娘たちとともに、オックスフォードの郊外での田舎暮らしを記したもので、著者のスーザン・ヒルは田舎でプライベートにガーデニングを楽しんでいる。そうした姿はいまなおイギリス人にとっての憧れのスタイルの一つ。こうしたスタイルも、ジーキルらが提唱したありのままの自然を愛でるイギリス人の心を象徴したものだろう。

戦後、税制が変わるなどの様々な社会的変動によって、貴族やブルジョアたちがカントリー・ハウスを保有することも難しくなっていった。すると新築物件はパタリと減り、実際にその後、大がかりなカントリー・ハウスはほとんど建築されなくなった。

小規模で自然重視のプライベート・ガーデン地方にある数々のカントリー・ハウスや自然、庭園は財政難に苦しんでいた。それを救ったのが自然保護を訴えるナショナルトラスト運動だった。

1937年に、新ナショナルトラスト法が成立し、カントリー・ハウスの地主らが、ナショナルトラストに土地や建物を寄贈するなどして相続税をのがれていった。ナショナルトラストはそれらを一般公開することにより、入場料を取り、資産を運用し、国民の財産になる仕組みをつくり、そのおかげで多くのガーデンが一般の人々が実際に足を踏み入れられる公園施設として活用できるようになっていった。

貴族の時代から庶民の時代へ、フォーマルからインフォーマルへと形を変え、いっそう身近に楽しめるようになってきているイングリッシュ・ガーデン。いまでは、数え切れないほどの庶民の庭が、まさしくイングリッシュ・ガーデンの代表格としてイギリスの花と緑と人々の生活・文化に彩りを添えている。