イングリッシュ・ガーデンの成り立ち その1
イギリス,イングリッシュ・ガーデン,歴史,フランス式庭園,オランダ式庭園,プラント・ハンター
ローマ時代からフランス式庭園、オランダ式庭園が流行するまでのイングリッシュ・ガーデンの歴史をたどる。大航海時代に活躍したプラント・ハンターの存在にも注目。
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イングリッシュ・ガーデンの成り立ち その1
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イングリッシュ・ガーデンの歴史
イングリッシュ・ガーデンと聞いて、どのようなスタイルを想像するだろうか。ある人は宮殿やカントリー・ハウスにあるような壮大な庭園を、ある人は自然な息吹が安らぐコテージ・ガーデン、あるいは世界の植物が見られる植物園を想像するかもしれない。こうしたスタイルはどれも、イギリスのたどってきた様々な歴史に大きく関係して変貌してきている。
「庭園は神様がイギリス人に与えた仕事」という言葉を、あるイギリス女王が残しているように、ガーデニングとイギリス人は切っても切れない仲。かつて王侯貴族中心に発展してきたイングリッシュ・ガーデンも、この100年でその主流は貴族から一般庶民へと移り、フォーマルからインフォーマル、装飾・造形的なものから、よりいっそう自然なものへと変化してきた。「園芸は芸術なり」と信じるイギリス人の手により彩られた庭園史をのぞいてみよう。
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ローマ〜チューダー王朝
プラント・ハンターが活躍するまで
イギリス人と庭園との出会いは、少なくともローマ時代にさかのぼり、いくつかの都市ではローマ式庭園があった跡が見つかっている。中世になってからはキリスト教が普及し、修道院の庭で薬草園や菜園が多く作られ、人気小説「修道士カドフェル」のカドフェルが日々大切に手がけているのも、この薬草園である。
中世の封建政治下では、貴族の住居として城が重要だった。城は政治、軍事、経済すべてに機能する要衝そして地方権力の象徴でもあり、このころ塀に囲まれた城がたくさんつくられ、城内庭園にはレイズド・ヘッドと呼ばれる幾何学模様の小花壇が見られた。
15世紀後半に「ばら戦争」が終わり、ヘンリー7世がイングランドを統一してチューダー王朝が起こると、それまで強固に作られていた城壁や堀が消えて、かわりに庭園が城に本格的にみられるようになった。その後、エリザベス1世の時代には、絶対王政も頂点に達して、貴族たちはこぞってグレート・ハウスと呼ばれる豪奢なカントリー・ハウスを建て始める。
このころはルネッサンス時代たけなわ。イスラムのデザインに影響を受けたイタリア式庭園が主流になり、シンメトリーで幾何学的模様のデザインが多く、マウント(築山)やノット(結び花壇)、そして樹木を刈り上げるトピアリーなどがさかんにつくられた。
エリザベス1世の後継者・ジェームズ1世の時代には、イギリスが本格的に海洋国家を目指して躍進した時期で、ジャコビアン様式といわれる建築様式が盛んに建てられ、それらとともに美しい庭園がつくられる。このころに世界各地へと旅に出た人々が、珍しい植物を持ち帰るようになった。地中海やアフリカ、西インド諸島などに植物を採取するために活動した人々は「プラント・ハンター」と呼ばれた。
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植物に魅せられた探険家 プラント・ハンター
大航海時代から精力的に活動したプラント・ハンター(プラント・エクスプローラー)たちが、イギリスに新たにもたらした植物は数え切れない。海路で、陸路で、彼らは真新しい植物発見の旅に全精力を傾けた。植物はもともと食べ物、香料、薬や繊維などに使われるのみだったが、このころから庭園や温室に飾られるなど用途も広がっていった。
彼らをサポートしたのは、裕福な王侯貴族階級や大商人。彼らは珍しい植物を熱狂的にコレクションに加えていった。このころからすでにコレクター王国・イギリスの象徴的な一面を見ることができる。
オランダのチューリップブームがあるなど、17世紀には西欧のヨーロッパでは空前の園芸ブームを迎え、世界各地にプラント・ハンターが飛び回った。おそらくもっとも有名なイギリス人のプラント・ハンターはおそらくジョン・トラディスカントだろう。同じ名前を持つ父とともに、エリザベス一世ほか多くの貴族から信頼を得て、北アメリカやユーラシア大陸を旅して多くの植物を紹介した。
この時代にはさまざまなプラント・ハンターが活躍した。例えば19世紀後期から20世紀前半にかけて活躍したアーネスト・ヘンリー・ウィルソン、別名アーネスト・ヘンリー・チャイニーズ・ウィルソン。この別名は彼が中国に多数旅をして数々の植物を入手してきたことに由来するもので、このチャイニーズ・ウィルソンだけでも、3,356種類もの変種などや多様性が紹介され、なかでも900種はこれまで全く知られていなかったというほど。ちなみに、日本では江戸時代末期にシーボルトやケンベル、フォーチュンらが日本の植物標本を持ち帰っている。
プラント・ハンターは今日でも新薬開発などに使うために世界各国で活躍しており、自然保護団などから自然破壊や生態系破壊につながるとして批判をあびているケースもある。しかし歴史的にみれば、こうした人間の語りつくせぬ魅力に満ちた植物に対する並々ならぬ好奇心が、色とりどりのユニークなガーデンや、イングリッシュ・ガーデンの形をつくり出す大きなきっかけとなっていったのである。
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フランス様式とオランダ様式の影響
17世紀、チャールズ1世のお抱え庭師であったジョン・トラディスカント親子は、ハットフィールド・ハウスに海外植物の一大コレクションをおさめた。学術的な植物園もこのころ誕生し、オックスフォード大学や、ロイヤル・キューガーデンズの薬草園、あるいはチェルシー・フィジックガーデンなどもこのころに端を発するものである。
バロックからロココへと時代は移り、フランスのベルサイユ宮殿が栄華を誇り、ヨーロッパ中でフランス式庭園が流行した。イギリスでも例にもれず、王政復古後のジェームズ2世の統治下でハンプトン・コートにフランス式庭園が取り入れられたものの、このスタイルは地形や気候の違いもあってイギリスではあまり普及しなかった。
1668年にオランダ出身のオラニエ公ウイレムつまりウィリアム3世が即位すると、ウィリアム王は母国からオランダ式のスタイルを持ち込んで一時注目を集めた。庭園に高低をつけるサンクン・ガーデンや、オランジェリー(栽培園)がさかんに取り入れられたのもこのころである。
ところで、私たちがいま目にしているオレンジ色のニンジンは、実はガーデニングに関心が強いオラニエ公ウイレム=オレンジ公ウィリアムの「オレンジ」を象徴してつくられたもの。それまでのニンジンはいまほどに鮮やかなオレンジ色ではなかったというおもしろいエピソードも残っている。
また、落葉樹が多かったイギリスで、ノットやトピアリーのための常緑樹も多く見られるようになり、オランダ特有の水路や池、鉄格子や門が取り入れられるようになったのも、このオランダ式の影響だ。