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ケルトの歴史 ケルト語の歴史
ある日突然、自分たちの言語や文化が奪われてしまう。そんな悲しい過去の中で、ケルトの魂でもある言語や文化が守られてきたのは、自分たちの歴史を愛するケルトの人々の情熱の賜物以外にありません。ケルトの言語弾圧の歴史と、現在もなお取り組まれている復興活動に注目してみましょう。

ケルト民族は言語的に2つのグループに分けられ、アイルランドとスコットランド(ゲール語)、マン島(マンクス語)にゴイデル語系、ウェールズ(ウェールズ語)、コーンウォール(コーンウォール語)、ブルターニュ(ブルトン語)にブリトニック語系があります。現在まで日常言語として残っているのは、ゲール語とウェールズ語です。


 アイルランドのゲール語
アイルランドの第一言語は英語ではなく、ケルト民族が使っていたゲール語(アイルランド語)です。主にアイルランド西部で広範囲で話されていたゲール語は、イングランド支配によって駆逐されました。ゲール語が公用語として定められたのは、1922年にイギリス領内自治国としてアイルランド自由国が成立したときになってのことです。しかしゲール語はいくつかの方言に分裂しており、現在でいうところのゲール語は国によって定められた標準ゲール語となります。


 イギリス・ウェールズ地方のウェールズ語
ウェールズ地方は山が多い地方のお陰で、ケルト民族はこの地に生き延び、独自の文化を育んでいきました。かつてウェールズ王国だったこの地方は、その後1536年に完全にイングランドに併合され、公共の場でのウェールズ語の使用は全面的に禁止されました。たった一つだけウエールズ語の使用が許された場所は教会でした。その理由は、1534年に成立した英国国教教会にあります。イングランドはウェールズでのこの新しい英国国教の布教を急ぐため、教会内のみウェールズ語の使用を認めたのでした。

その後1907年から、学校・大学の授業でウエールズ語の使用が始まり、1930年にはこの言語のラジオ放送がスタートしました。公用語として英語との併用が認められたのは、1967年のことです。


 2つの母国語とケルトの誇り
2つを母国語に持つケルトの末裔の人々。アイルランドやウェールズを訪れると、各種看板や案内表記には英語とゲール語やウェールズ語が共に記されています。この表記こそが、彼らが長い年月をかけて取り戻したケルトの誇りです。2つの母国語を維持することは容易ではなく、国際語ではない言語習得の有用性を疑う声もあります。しかし、同時に自分たちのルーツやアイデンティティの確立のために、民族言語の教育は不可欠との意見も根強くあります。

実際に第1言語としてゲール語を話す人々は、アイルランドの全人口560万人に対してわずか5万人。1割にも満たないと言われています。また現在ウェールズ語を話す人は、ウェールズに住む人々の約2割といわれています。今後どのように2つの母国語を守っていくのか、注目したいところです。