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ケルトの歴史 ヨーロッパの中のケルト
「ケルト」という呼び名の由来は、古代ギリシア人が、西方ヨーロッパにいる異民族をケルテイと呼んだことに由来します。(古代ローマ人はこの異民族を「ガリア」と呼びました)これはケルト語を話す文化集団を意味し、人種のことではありません。一時はヨーロッパ全域に散在し、共通の言語・宗教・文化を持っていたにもかかわらず、ケルト民族は安定した国家を築くことはありませんでした。これは同じケルトの部族が互いに滅ぼしあったり、他民族と混ざり合うことによって、民族としての特性が薄れていったことが一因と考えられます。ケルトを知ることは、ヘレニズム(古代ギリシア)やヘブライズム(ユダヤ・キリスト教)などの従来の世界観ではない、もう一つのヨーロッパを知ることになるでしょう。

 恐れられたケルトの人々
紀元前1世紀ごろのギリシア人歴史家ディオドロス(『歴史叢書』)によると、ケルト民族は、背が高く、筋肉質で、ブロンドの髪は石膏水で人工的に脱色されていたといいます。その姿は、「髪が馬のたてがみのように太く重なり、それだけでもう森の悪魔のように見える」と、恐怖に駆られたケルトの人々の風貌が分かります。ローマの名匠カエサル(『ガリア戦記』前52年)もケルトの戦士たちは非常に不思議に強く、勇敢で不気味だと書き残しています。そのためかカエサルは、辺境の地アイルランドへは侵出しませんでした。 またディオドロスや同世代のローマの歴史家リウィウス(『ローマ史』)によれば、ケルト民族は、一騎打ちで討ち取った敵の首を持ち帰り、家の壁に吊るして陳列しました。この風習はローマ人を大変、恐ろしがらせたようです。
合理主義で人間中心のローマ人にとっては、死を恐れない独自の死生観を持つケルト民族は、野蛮で恐ろしい敵だったのです。ちょっと意外ですよね。